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Q1 そもそも薬剤師を目指されるきっかけは?

ザ・フォーク・クルセダーズの登場に影響されました!

高校生の頃にフォーク・ソングが大流行し、多くの若者がラジオの深夜放送をかじりつくようにして聴いていました。今の若い方には想像できないかもしれませんが、フォーク・ソングや深夜放送の影響力はかなりのもので私もその一人でした。好きだったのは『帰ってきたヨッパライ』や『悲しくてやりきれない』などを唄ったザ・フォーク・クルセダーズというグループです。3人組でしたが、主に作詞を担当していた北山修さんは、当時、京都府立医科大学医学部の学生でした。後に精神科医、大学教授として活躍される方なのですが、高校生だった私にとって医大生でフォークシンガーというのは、とても眩しく、憧れの存在でした。そのことがきっかけで医療の世界に興味を持ちはじめ、その後、薬剤師を目指すことになります。


Q2 その後のキャリアについてお聞かせください

目標は病院薬剤師になることだったのですが

私が昭和大学薬学部を卒業した1978年頃は就職難の時代ということもあり、進路は病院・企業・行政・大学に残る(進学)のいずれかに限られていました。私は病院志望だったのですが、そこも欠員が出るのを待つ状態だったため、一旦、他大学の附属病院で研修を受けることになりました。恩師からは、しばらくしたら大学に戻って来いと言われていましたが、その後、縁あって千葉県の病院に就職。念願の病院薬剤師になったところまでは良かったのですが、徐々に調剤した薬を窓口で手渡すだけの仕事に物足りなさを感じるようになり、「もっと患者さんの近くで踏み込んだ仕事がしたい」という思いから調剤薬局に転職することにしました。


Q3 開局に至る経緯についてお聞かせください

最初は何も考えずに薬をお届けしていました

調剤薬局に勤務していた頃、近くの診療所から「患者さんのお宅に薬を届けてくれないか」という依頼を受けました。自分で調剤した薬を届けるというだけのことですから私に抵抗はなく、何も考えずにお届けしました。今思えば、お蕎麦屋さんの出前と変わらなかったわけです(笑)。医薬分業率が20パーセントにも満たず、在宅医療そのものが世間で認知されていませんでしたので患者さんやご家族でさえ「この人、なにしに来たのだろう?」という怪訝な顔を浮かべていました。そうこうしているうちに、薬を届け、服薬指導を行い、健康管理に関するワン・ポイント・アドバイスを行うという一つの形ができあがり、在宅医療における薬剤師の役割や今後の道筋が見えはじめたこともあり、1997年に『フクチ薬局』を開局することにしました。


Q4 開局当初のご苦労は?

介護保険制定時に大失敗したこともあります

一言でいえば『試行錯誤』の連続でした。まず、何をやるのか、どうやるのかを見極めることから始めなければならず、分からないことを訊く人がいないということも不安でした。失敗談もあります。一番は介護保険の算定に対応できなかった苦い思い出です。在宅医療に取り組みはじめた頃は医療保険の範囲での業務だったのですが、その翌年には介護保険ができました。それが何を意味するかというと、それまで自己負担ゼロだったものが「今日から1割を負担して頂くことになりました」ということです。それをどうやって理解してもらうか思案に暮れ、結局、不適切な処理をしていました。そのツケは、2年後に厚生局からの呼び出しという形ですべてのレセプトを作成しなおし再提出という目に……。以後は法令を正しく理解して介護保険優先を肝に銘じています(笑)。


Q5 仕事はどのように広げていったのですか?

多職種の方たちとのコミュニケーションが重要です

ケアマネージャーさん、ヘルパーさんなどと積極的に接点を持つように心がけてきました。顔を合わせる機会が増えれば、現場で困っていることが見えてきます。残薬の問題もその一つでヘルパーさんの悩みの種でした。そこで、解決策の一つとして提案したのが日めくりカレンダー(写真参照)。朝・昼・夜に飲む薬を記してお渡ししているのですが、これに一包化した薬を貼りつけておけば、数日おきに使用するパッチ薬でも忘れることがなく、飲み忘れも防げるようになりました。もちろん、すべてがうまくいくわけではなく、ある認知症の患者さんでは、薬をはがして、どこかにやってしまうということもありました。そこでヘルパーさんと相談の上、薬はその都度手渡することにして、カレンダーにはダミーとしてラムネ菓子を貼っておくという方法をとったことがあります。ところが往診の際に患者さんが「薬(ラムネ菓子)が大きすぎて飲み込めない」と訴えたため、事情を知らない処方医師から錠剤をつぶす指示が来てしまいました(笑)。今では笑い話ですが、予期せぬこともいろいろ起こるものです。

    

▲ 日めくりカレンダー 制作   ソフトは発案者の原崎大作先生(鹿児島県)が無料で公開している


Q6 日頃、心掛けていることは?

患者さん本位の視点を忘れないこと

かつて服薬コンプライアンスという言葉が使われていました。しかし、この言葉には医師の指示に従うという一方通行的なニュアンスがあるということでアドヒアランスと言われるようになりました。そして今は、コンコーダンスという言葉が使われ始めています。これは、患者さんを中心に医師・看護師・薬剤師などが円を描くという構図ではなく、患者さんを含めた全員が一つの輪を形成して、お互いの理解と合意の上で治療に臨むという考え方です。その中で薬剤師が担うのは、患者さん一人ひとりの状態や生活環境を見て、何が患者さんのためになるのかを薬物治療の観点から見極めること。薬がちゃんと飲めていないのなら、その理由を探すことが大切です。量が多すぎるのか、剤型が合わないのか。あるいは、副作用を過度に恐れる、薬効を理解していない、病気が治ったと自己判断してしまうなど、本当にさまざまな理由があります。認知症の患者さんも増えていますので、ますます患者さんとの接点を密にして、早めにその対処の仕方を多職種間で共有することが必要になってきたと思います。


Q7 在宅医療に取り組むために必要なことは?

あらゆる機会を生かして多職種連携を構築することです

在宅医療を難しく考えている先生方が多いような気がします。業務内容は保険薬局の窓口で行っていることの延長線上にあると思って構わないのではないでしょうか。私の場合は独自で行ったために試行錯誤もありましたが、今では参考になる事例も入手しやすくなりました。2010年に発足したJ-HOP(全国薬剤師・在宅療養支援連絡会)の情報共有サイトには、困ったこと、知りたいことをWebサイトに投稿すれば、各地の先生方からアドバイスや体験談がすぐに返ってくるメーリングリストもあり、その点では非常に心強い仲間も増えていますので心配はいりません。私自身は、地域の介護職の方々との事例検討会や、定期的に情報交換を行うイベントなどを積極的に活用してネットワークを広げています。やはり、在宅医療において重要なのは連携ということです。地域、病院、薬局同士、介護職など、さまざまな職種、多くの人々と連携することが在宅医療を推し進める上でのカギになると思っています。


Q8 薬剤師に求められていることとは?

医療と介護をつなぐという重要な責務もあります

ある高齢の患者さんのケースなのですが、3つの診療科に同時にかかっており、そのうち整形外科からは筋弛緩剤が処方されていました。しかし、自宅での様子を見ているヘルパーさんは転倒事故を危惧し、私の目から見ても歩行時のふらつきが気になりました。そこで医師に相談したところ、その薬剤が中止されたという例があります。また長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)に照らし合わせて認知症の基準点に達した患者さんではなかったのですが、日常の些細な言動を担当者会議で報告すると、「今が潮時だな」という医師の判断で認知症治療薬を処方することが決まったのです。このように介護職と医療職とを「つなぐ」ことも大切な役割。薬剤師なら、介護職の方が抱える問題を共有して、医療職に問題提起あるいは解決策の提案を行うことも可能なのです。ポリファーマシーを解消していくことはもちろん大切です。しかし、一番重要なのは薬を減らすか増やすではなく、何が患者さんのためになるかを探してあげる。その上で多職種連携の繋ぎ役としてしっかり機能するということを私は常に意識しています。


Q9 後に続く皆さんにメッセージをお願いします

薬局の外に飛び出す薬剤師が増えてほしいと願っています

日本人の平均寿命は男性80.50歳、女性86.83歳(ともに2014年の調査)と世界有数の長寿国となりましたが、今後は、いかに健康寿命を延ばして介護期間を短くするかを考えなくてはなりません。少し話が変わるのですが、薬局は昔の姿に戻ってもよいのではないかと私は考えることがあります。医薬分業が進んだ結果、薬局は処方せんがなければ入りづらい所になりました。昔の薬局は日用品や雑貨も扱っていたので気軽な日常的な触れ合いを通して健康面のサポートが可能だったという面があります。その頃に戻ることが出来るようであれば、「かかりつけ薬局、かかりつけ薬剤師という言葉がクローズアップされる今だからこそ」、薬剤師一人ひとりが患者さんや地域の人々と密接にかかわることが大切だと思うのです。待ちの姿勢ではなく、自ら外に出ていく動きを作り出すことも必要です。在宅医療に限らず、地域の人々の健康をサポートする活動を通して社会に貢献できる薬剤師が一人でも増えることを願っています。


上記の記事は、大塚製薬ホームページで掲載された記事から引用しました